「賛同する人がほとんどいない、大切な真実」について
会計士業界(特に会計監査にたずさわる人々の業界)では、これからが繁忙期である。
いまだに3月決算の会社が主流を占めている状況なので、会計士の人たちにとってみれば、ゴールデンウィークなどというものはあってなきが如きものであり、馬車馬のように働く日々が彼らを(私含む)を待ち構えている。そんな生き方が正しいのかどうかはともかく、業界としてそういうものである。
一年前、武漢肺炎ウイルス・パンデミックが日本を覆ったことによって多くの、というかすべてのクライアントさんから、来社してくれるなと云われた。
かといって、監査の仕事は進めないわけにはいかない(証券市場は、パンデミックだから監査証明はいらないとはいわない)ので、リモートワーク漬けの日々であった。それはそれで、これまでになかった状況であり、ある意味貴重な経験となったわけだが、一年後の今もそれなりにリモートワークが基本の日々が続いているわけで、この邪悪なウイルスが人間社会に与えた影響は、これまでの私の人生のなかで見たことのないほどに大きい。
一年前、武漢肺炎ウイルスがまたたく間に(指数関数的にとはこのことかとばかりに)、世界全体を襲った結果、株式市場はパニックに陥った。あらゆる国で株価は暴落し、さながら人類は滅亡の淵に立たされているかのような様相を呈していた。
そのとき、私は自問した。果たして人類は、この邪悪なウイルスによって、壊滅的な打撃を受け、再起できないほどのダメージを負ってしまうのだろうかと。毎日そのことを考え続け、自分なりに得られた結論は「否」であった。
ヒトという種族は、この程度のウイルスに滅ぼされるようなやわな存在ではなく、しぶとく生き延び、それどころか今以上に繁栄する可能性の方が高いと見た。
当時、ニューヨーク証券取引所は一日に2度サーキットブレーカーを発動させるような状況で、底が見えないような暴落が連日続いていたわけだが、そんななか、いくばくかの株を買った。たいていの会社の株が言い値で買えるという、平時では想像もつかないような状況であった。
日本の株式市場も似たようなものであった。こちらもやはり言い値で買えた。
片っ端から買って行きたいような状況ではあったが、ろくに知りもしない会社の株に手を出すのは危険が伴うと自制をはたらかせ、長いこと投資先候補と考えていた4社に注力し、コツコツと拾うように買い増していった。
あれから一年経った今、依然として厳しい状況は続いているが、人類は滅びる気配を微塵も見せず、株式市場はどうやら落ち着きを取り戻し、日経平均は一時3万円を超える水準にまで回復した。
この「日経平均3万円」をどうとらえるかは議論のあるところであり、今の日経平均の内容は、かつて3万円(30年ぶりだそうだ)をつけていた頃とはまったくの別ものと考えてよいほどの、質的な変貌を遂げているわけだが、ここでは立ち入らない。
要するに言いたいのは、大多数の人々が誤りととらえているけれども実は正しいという事柄を掴んだ者が、市場では優位に立つということである。当たり前のことだが、実行に移すのはけっこうむつかしい。
著名な起業家ピーター・ティールが、その著書のなかで「賛同する人がほとんどいない、大切な真実とは何か?」というような問いかけをしていたが、投資家に限らず、起業家に限らず、お金になる洞察とはこういうものなのだろうなと思った。
一次情報に当たらねばならぬこと
事実と自分との間に、誰かを介在させることが危険なのだ。
メディアの報道を信じることとは、一次情報との間にメディアを介在させて情報を得て、それを信じることであり、そのメディアが悪意を持ってか、あるいはその無能さゆえか、事実をねじ曲げて伝えるとき、読者・視聴者は有害な影響をこうむる。
可能な限り、ナマの、一次情報に近い情報に接するべきなのだ。
物事をかみ砕いて説明してくれる人はありがたい場合もあるが、すべての人が良心と、十分な能力とを持って、伝えてくれるかというと現実はそうではない。
そのことをわかりやすく示してくれたのが、2020年の米大統領選であった。開票速報データに直接当たってみたところ、明らかな票操作の痕跡が見て取れたので、この選挙は史上類を見ない規模の不正によってねじ曲げられたものであることを、私は知ることができた。
しかしそのことを、日本のメディアはほぼ100%報じなかった。その疑惑を伝えることすらしなかった。
さらには、政権中枢にいる人々までも、誰ひとりとして、その事実を指摘することすらなかった。これが現代日本の姿である。くさっている。
いち民間人に過ぎない私が、こんな重要なことを知り得たということ自体が、時代の変化を感じさせてくれる。ひと昔前であれば、まずわからなかった。それが、今のような情報を扱える環境であるがゆえに、わかるようになった。世界は変わった。
これまで20年間、個人資産の大部分を投じて、株式への投資実験を続けてきたのだが、今ほど見通しの立たないときはなかった。2011年3月の震災直後を上回る、先の見えない状況にあるととらえている。
暴露ウイルスのこと
メディアとは全く信用ならないものだとわかった。いまさらではあるが。
テレビは元から嫌いでほとんど見ていなかったが、新聞はそれなりに信用度の高いものだと考えていた。それが全くの誤りであることが、昨年の末にわかった。
武漢肺炎ウイルスによるパンデミック騒動と、2020年の米大統領選は、多くの物事を白日の元に晒してくれた。さながら暴露ウイルスである。これまで巧妙に隠されていたことを明らかにしてくれた。
特に、メディア群の正体を、わかりやすく示してくれた。
彼らは、ジャーナリズムの大義なるものをごたいそう掲げて、偉そうに、報道機関でございと体裁を取りつくろってきたやからに過ぎなかった。日本のテレビはひとつ残らず、新聞も残念なことに、ほとんど全てがそうだった。大手新聞社などは、一切合切が信用ならないものだとわかった。
彼らの行為を見るに、大衆は無知で無能であり、その印象操作が己の仕事だとでもいうかのようだ。彼らは、民衆の認識を操作する意図を持って、己が影響力を行使していた。これ以上ないほどに醜い行為である。私はもう奴らのいうことを信じない。
このことを教えてくれた一点だけは、この邪悪なウイルスに感謝している。
米大統領選の結果を予測する
米大統領選の結果は日本株にも多大な影響を与えるに決まっている。僕は何の影響力も持っていないが、その結果は実験ファンドの投資パフォーマンスにも大きな影響を及ぼす(つまり僕自身の経済状態にも)。注目しないわけにはいかない。
CNNの調査では、バイデン候補が16ポイント リードしている。ウォールストリート ジャーナル、ニューヨーク タイムズ、フィナンシャル タイムズ、日経新聞、いずれを読んでもトランプ氏はどうしようもないほどの劣勢に立たされていることになっている。
ところで、2016年の米大統領選でトランプ勝利を的中させた世論調査会社、ラスムセン・レポート社の記事にこんなものがあった。
世論調査の数字の外、それでもバイデン候補は圧倒的勝利を収められるのか?といった趣旨の記事である。
ちなみに、当のラスムセンの調査でも支持率はバイデン氏が5ポイント、トランプ氏を上回っている。
しかし、支持者集会の規模、そこで見られる支持者の熱気、さらに候補者のエネルギッシュな様子とスタミナ、いずれもトランプ氏がバイデン氏を圧倒している(トランプ氏が武漢肺炎ウイルス感染で入院した病院の外には、バイデン氏の集会1ヶ月分の人数が集まったという)。
バイデン氏の物忘れや言い間違いが衝撃的であったことは有名な話だが、それに加えて、次の指摘は興味深いなと思った。
予備選で75%以上の支持を得た現職大統領が再選されなかった例はない。トランプは共和党の予備選で94%の支持を得た。この数字は史上4番目の高さであり、アイゼンハウアー、ニクソン、クリントン、オバマをも上回る。
アメリカの大統領選の年に、パンデミック、不況、市民暴動が同時に起きた例は3度ある。これらのいずれの年も現職の大統領が勝った。
2004年以降に関していえば、Googleで検索された数の多い候補者が常に勝利している。トランプの検索回数はバイデンの約3倍である。
1820年以降、現職大統領が再選を賭けた大統領選の年にパンデミックが起きた例は11ある。そのいずれの年も現職の大統領が勝った。
上記の指摘は、David Chapman氏(@davidchapman141)のツイートによる。
第1回討論会の様子も通して観たが、トランプ氏が2桁の差をつけられてバイデン候補の後塵を拝しているとはどう考えても不自然なのだ。
大手メディアは実はまったく信用ならないのではないか。そんな疑念は強まる一方である。
【結論として】
僕はトランプが勝つのではないかと見ている。ゆえにリスク オンの姿勢に変わりはない。
メディアを信用しないこと
僕が好んで読んでいたメディアの多くが、偏向報道を続ける信頼に値しないフェイクニュースメーカーであったようだ。
米大統領選の報道を見るに、現職大統領への偏った批判、世論誘導の意図が方々に見えて驚いている(単に僕の誤解であればそれが一番良いのだけれど)。
ウォールストリートジャーナル、ニューヨークタイムズはとても怪しくて、たぶん英エコノミストもくさい。
こういうメディアを熱心に読み続けていたわけだが、読めば読むほど誤った情報に汚染され、偏った見方に誘導され、正しい状況判断から遠ざかってしまうという冗談のような笑えない状況に陥っていたような気がする。
情報源を見誤れば、エネルギーを注ぐほど愚かになってしまうのだ。怖い話である。
有力メディアであろうが信頼性とはまったく関係がないのだ。こういうことを身を以て知ることができたと前向きにとらえるしかない。
考えてみれば完全中立なメディアなど存在するわけがないし、偏りたくなければ偏ったメディア利用を止める以外にない。複数のメディアを幅広く読むのが次善の策であって、一次情報に当たって他人のいうことは基本的に信用しない、というのがどうやら一番である。
トランプ大統領のこと
2016年の米大統領選、トランプ氏勝利の折には、とんでもない男が米国大統領になった、米国の繁栄はピークを過ぎた、などとまるで見当違いなことを書いたりして申し訳ありませんでした。
トランプ大統領は、
①凶暴な米国の中にあってこれを率いて戦争をさせなかった。
②大幅な減税を行なった。
③FRBに利上げをさせなかった。
以上の事柄だけを見ても極めて良質で優れた大統領であると思う。僕はファンになった。
自国のメディアから袋叩きにあっても一歩も引かず、己の信ずる道を邁進する強さたるや、想像を絶する。あえて古代中国の故事を引くが、これは孟子のいう 、千万人といえどもわれ往かむを地でゆく人物であると思う。尊敬する。
トランプ氏の武漢コロナウイルス感染の報を受けて株価は総じて下げた。市場はトランプ大統領の再選を待っている。
天意は民意を媒介として表現されるというのが正しければ、米国各地で開催されるトランプ支持者集会の熱狂ぶりを見るに、天意はトランプに在りという以外にない。
悪臭を放つ決算書 〜規制しなければ決算情報は腐るという話〜
・会計基準を無視した経営指標
ある製薬会社が決算発表に用いる「Core営業利益」というものがある。いわゆる会計基準外指標(Non-GAAP measures)である。
その会社の有価証券報告書・決算短信に「Core営業利益」なるものの説明が書いてある。
*某製薬会社の2020年3月期・有価証券報告書より抜粋(以下同じ)。
「本業に起因しない(ノン・コア)事象による影響を調整」とあるが、償却費も減損損失も金利費用も買収関連費用も手当たり次第に除外して計算されたもの、要するに会計基準を無視して計算された指標ということである。
これをもって経営者は、実質的な利益とのたまっている様子。
・誤解する一般投資家
有価証券報告書に載っているので会計に詳しくない一般投資家は、監査法人が監査しているのだから信用できるんでしょ?と誤解する。
ところで、「Core営業利益」などという概念は会計基準にはない。
この会社は、国際会計基準(IFRS)を適用しているのだが、有価証券報告書には「国際会計基準に準拠したものではありません」と明記してあるので、こういうところまで読み込めていない一般投資家が誤解しても、誤解する方が悪いというつくりである。
*会計基準は無視していますと。
・大幅減益の一方で社長へは巨額の役員報酬
この会社の経営者は、実質的成長を重視するのだという。損益計算書にあらわれる会計数値は、実質とは異なるのだと言外に主張しているようにも読める。
この会社、直近の決算では、会計基準に即した純利益は大幅減益で、税前利益はマイナス(損失)に陥った。
*株主が気の毒。
その一方で、社長に対する報酬総額は20億円超である。
価値を生み出す経営者であれば相応の報酬を受け取るのは当然と思っているが、この会社の報酬委員会はなにをもってこの社長の貢献と評価したのかわからない。単に気前が良いのか。
*1億円以上の役員報酬は個人別に開示される。
・何をもって実質的成長というのか
業績評価には、「実質的な成長」概念なるものを用いるのだそうだ。
*大幅減益でも業績評価は別の話らしい。
・どんなに高値づかみの買収をしようがこの会社の「実質」は成長すると主張
社長を含む役員の業績評価も、この「実質的な成長」とやらで行われているように読める。
この会社の「実質的な成長」を支えているのが前述の、会計基準を無視して独自につくり上げた概念「Core営業利益」である。
要するに、買収を行いさえすれば、どんなにばかげた高値づかみの買収をやろうとも「成長」するのが「Core営業利益」である。償却費も減損損失も金利費用も買収に絡む諸費用もすべて除外して計算されるのだから。
・クローバック条項導入とはいうものの
ところでこの会社の経営者、身の丈に合わぬ巨額の買収を懸念する株主に押されてクローバック条項 (*1) を導入したと聞いた。
しかし、有価証券報告書を読むに、「重大な修正再表示」(会計処理の誤り)や「重大な不正行為」に限定しているらしき点、気になる。仮に超巨額の買収が失敗に終わって、巨額の減損損失(=買収の失敗)という結果になったとしても、修正再表示や不正行為に該当するのでなければ報酬を返還する義務ははないという風にも読める。
(*1) クローバック条項:経営判断の誤りなどによって会社に損失を与えた場合、経営者への報酬を取り戻す趣旨の取り決め
*超巨額買収が失敗(巨額の減損損失)に終わった場合はどうするのか?会計処理は誤っていない、不正行為もないというのなら、経営者はその報酬返還の義務を負わないという理解でOK?
ちなみにこの会社の経営者は、株主からクローバック条項の導入を強く求められた際、そんなものを導入したら経営陣が過度に保守的になってしまってむしろ害になると反論していた。 何をいっているのかわからない、というのが率直な感想である。
・あれもこれも「ノン・コア」だから
買収の結果(最悪、巨額の減損損失)にも、巨額買収の結果生じた巨額の償却費も、巨額の買収関連費用も、買収資金調達のために生じた巨額の借入費用も、それらは「ノン・コア」だから(どういう理屈か)と経営者の責任ではないと読める(こう読む以外にどう読めば良いのか、読み方があるのなら教えていただきたい)。
・まとめ
私自身、これまで数百の決算書を見てきたが、悪臭のただよう決算書があるということをこの歳になって初めて知った。
批判めいたことは書きたくないのだが、こういう有害な情報開示を規制しなければという気運の高まる兆しがまったくないので、Webの片隅にだが書いておく。
・追記(金融庁への提言)
こういうNon-GAAP measures(会計基準を無視して公表する独自の経営指標)について、米国では規制の動きがある。一般投資家を惑わせかねないのだから当然である。
日本では金融庁が動いてくれるだろうと期待しているのだが、その動きはまだない。日本の資本市場が腐臭にまみれぬように、早期の規制導入を強く望むものである。
個人的には、会計基準から外れた指標を有価証券報告書に(もちろん決算短信にも)記載する場合には、そのすべてに【基準外】という文言を付すことを強制するくらいでちょうど良いと思っている。